(1年前の出来事になります。。)
先日、お兄ちゃんが20歳のお誕生日を迎えました。
毎年、子ども達のお誕生日の日は感慨深い想いに浸ってしまう私。
今はいいですよね、動画とかあるからリアルに思いだせてしまう。
お兄ちゃんは2080gと小さく生まれきました。そのおかげで出産は4時間半と超安産。「お母さんが痛がりだから小さく生まれてきてくれたんだねー」なんて言ってたけど、
後産で出てきた胎盤を見た医師が、「胎盤が小さかったから大きくならなかったんだな」と呟いたのが聞こえてしまって、すごいショックでした。
「私のせいでお兄ちゃんが小さいまま生まれてしまった」ということを負い目に感じてしまって、「早く標準的な大きさに育ててあげなくちゃ」 ってプレッシャーが大きかったです。
体は小さくても、どこも異常はなかったので私と一緒に退院。
でもね、そこからが大変でした。早く大きくしなくちゃて焦っていた私は、母乳で充分足りていたはずなのに、ミルクも追加で飲ませたり、寝ちゃっても足裏コショコショして飲ませたりして、今から思えばそんな事する必要なかったのに、とにかく必死でした。
1歳になる頃には平均身長と平均体重になっていたので、そんなプレッシャーからも自然と解放されていましたが、この負い目は、その後もお兄ちゃんが体調悪くなる度に気になってしまうところ。
関係ないかもしれないけれど、「やっぱり、弱い体で生まれてしまったのかな」という疑念は、何かにつけて思い出してしまいます。
お兄ちゃんが生まれたあの日に願ったのは、たった一つの事、
「すくすくと元気に育ってほしい」
きっと、どのお母さんも同じ思いですよね。
あれから20年。
4歳で川崎病になり、その後もアレルギー、頭痛、喘息と病院通いをするようになり、起立性調節障害、強迫性障害と病気ばかりで、「元気に育ってほしい」という、たった一つの願いも叶わぬような日々だったけど、
お兄ちゃんは心根が優しい人に育ってくれました。
お兄ちゃんのこの優しい性格は一生変わらない宝物だから、こんな素敵な事はないと思っています。
話しを戻して、お兄ちゃんの20歳のお誕生日の日。
実は、この日の為に19年前から用意していたものがありました。
お兄ちゃんの誕生年に作られたワインと、
お兄ちゃんが1歳の時に書いた私達からのお手紙、
そして仲良し兄弟の写真集。
これね、何が良かったかって、
自分達で書いた手紙に自分達が感動して泣いてしまうという、よくわからない状況になってしまいました。笑
お兄ちゃんの1歳のお誕生日の時に、私と旦那さんがそれぞれ、20歳のお兄ちゃんに宛てた手紙を書いて封印していたのですが、
この中には愛がギュッと詰まっていて、、、
その溢れる想いがガツンと心に響いちゃいました。
私達としては、20年間ずっと変わらず愛してきた自信があるし、その気持ちは1mmも変わってないつもりだったけど、
悩んだり、凹んだり、様々な葛藤があったり、そんな雑念が何もない頃のパパママ一年生の時に書いた手紙は、もっともっと純粋な愛に溢れていて、
寡黙な旦那さんも、愛しい我が子への想いを沢山書いてくれていて、20歳になった息子を前にはとても照れくさくて言えないような想いが沢山書かれていて、
ホント、あの時に手紙書いておいて良かった。
今の私達が書くより、ずっとずっと心に刺さる愛溢れた手紙を読んで、私達自身が初心を思い出させてもらった感じでした。
こんなに大切な宝物が、こんなに立派になって、目の前に居てくれている。
それがどれだけ幸せなことか。
このブログのタイトルにした "にじいろ" の歌詞のように、「なくしたもの」じゃなくて、「あるもの」に目を向けるべきなのよね。
「あるもの」に目を向けたら、いまどれだけ幸せかって事にちゃんと気づけるから。
19年前の私達、ありがとう!
お兄ちゃんが私達の元に生れてきてくれた事に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになりました。
~絢香【にじいろ】の歌詞より~
なくしたものを数えて
瞳閉ざすよりも
あるものを数えた方が
瞳輝きだす
あなたが笑えば誰かも笑うこと
乗り越えれば強くなること
ひとつひとつがあなたになる
道は続くよ
おまけ
20年前のワインはオリが沈殿していて、グラスに注ぐときにコルクゴミのように交じってしまうので、正直美味しいものではなかったです。ワインセラーなどできちんと管理されたものなら違ったかもですが、自宅保管していた古いワインは・・あまりよろしくはなさそうです。