子供が病気で平気でいられる母親はいないと思います。
熱が3日続いただけでも、「一体なんの病気?」と不安になるのに、
一週間、二週間と時が過ぎても、ご飯も咽を通らず寝込んでいるのですから居ても立っても居られません。
小児科や内科を何カ所か診てもらいましたが原因不明。
胃腸薬や抗生剤などを飲んでいましたが、一向によくなる事なく、どんどん痩せ細っていくばかりでした。
37度~38度の熱が続いているのに「異常なし」と言われ続け、結局熱が下がったのは、全ての薬を止めてから2ヶ月たった頃。
微熱が出てから9ヵ月の月日が過ぎた時でした。
このグラフはその頃毎日つけていた熱グラフです。
症状の欄は毎日変わりないので詳細を書くまでもなく、"あり"だけの記入になっています。こんな状態がずっと続いているのに子供の37.5℃くらいは平熱の範囲と言い切る医者もいました。
9カ月も微熱・高熱を繰り返した子供に寄り添い、
あちこちと病院巡りをしていた頃はまさに地獄の日々でした。
自分の身なりもままならず、外を歩いていても道がどこなのかわからず、頭の中は心配と不安でいっぱいで、現実の景色が見えてなかったです。
歩いていても、買い物していても、自然と涙がこぼれてしまい、どうやって一日を過ごしていたのか記憶にありません。
出産直後の母親は近くで赤ちゃんの泣き声を聞いただけで、母乳が分泌され、洋服が濡れてしまうくらい母親と子供の繋がりは深く、センサーが働くように出来ているのですから、子供の苦しみと一心同体になってしまうのが母親です。
子供の体も心配ですが、中学に入ったばかりで学校をお休みする日が1日2日と重ねていく事にも大きな不安を感じていました。
毎日毎日、暇さえあればパソコンに向かってネット検索です。
頭の中は不安でいっぱい、悲しみでいっぱい。
外に出れば、子供が通う中学の子達がピカピカの制服を着て歩いているのが目に入ります。
どうして我が子はこの中に居ないのだろう・・・
泣けてきてしまいます。
胸が締め付けられる思いです。
そんなある日、
行き慣れた場所で駐車場に車を止めて、目の前の道路を渡ろうとした時、
「キキー!」という急ブレーキの音と共にトラックが私の体ギリギリで止まり、
続いて、大きなクラクション・・・
「このバカタレが!どこ見て歩いてんだ!!」
と罵声を浴びせながら、その車は立ち去りました。
何が起こったのか、
どうしてそんな言葉を浴びせられたのか、
今自分が死んでしまったら子供達はどうなるのか、
何が何だかわからない状態で、涙が溢れて止まりませんでした。
人と会う気にもなれず、
ショッピングなどの気晴らしに行こうという気持ちにもなれません。
その頃の私は絶望しかありませんでした。
9ヶ月間も微熱が続いた子供の身体は10キロ以上も痩せてしまい、あばら骨が見えるくらいガリガリにやせ細ってしまいました。
既に歩行も困難になり車椅子生活になってしまった状態で、やっと起立性調節障害と診断される事になります。
※起立性調節障害と診断されてから分かった事ですが、初期段階から処方されていた抗うつ剤が症状を悪化させていたそうです。今思えば本当に取り返しのつかない月日を過ごしてしまって悔しい思いです。