今日はお兄ちゃんの卒業式。
東京は3月1日で18℃という異例の暖かさで、桜が咲いていてもおかしくないくらいの陽気の中でスカッと抜けた青空の下、晴れ晴れとした卒業式日和でした
校長先生の話しは相変わらずの定型文で退屈な時間でしかありませんでしたが、卒業生代表の子の挨拶で涙腺崩壊。やっぱり自分の言葉で語られると、そこには言霊があり、きちんと心に伝わってくるものですよね。
先生方へそして育ててくれた両親へ、心からの感謝の気持ちが込められていたその子の答辞は、思わず涙がこみ上げてしまいました。周りでもすすり泣く声が響き、我が子の言葉でなくてもこんなに泣けてしまうくらい、親として皆一緒に戦ってきたんだなぁという想いで包まれた瞬間でした。
その子の答辞を聞きながら、希望に満ちた気持ちで入学したあの日からの出来事が、走馬灯のように蘇り、さらにはもっと昔からの記憶、今までの節目節目の出来事、幼稚園、小学校、中学校、そして今に至る時までの事、いろんなこと思い出して胸が熱くなってしまいました。
何も問題なく元気で過ごしていた頃の入学式や卒業式でも、子どもの成長が眩しくて、嬉しくて、ここまで無事に過ごせた事が有難くて、感慨深い想いになっていたのに、今回の卒業式は今までとは比じゃないくらい様々な想いが重なって、
「なんとか・・ここまでたどり着けた」
という安堵感でいっぱい。波乱に富んだ高校生活だったので、今日という日を無事に迎えられた事をココロノソコカラ、ホッとしています。
高1の時
起立性調節障害を克服して入ったこの高校。
中1、中2と寝たきりだったので、「全日制に入って学生生活をやり直したい」という強い気持ちで、受験を頑張って入学したこの高校。
入学したばかりの頃は、
「この高校に入れてホント良かったね」と喜びを噛みしめ、希望に満ちたスタートでした。
高校入学の直前まで自転車に乗る事も出来ずにいたくらい、体力的には万全じゃなかったものの、気力は100%。
「高校は私立になっちゃったけど、今から大学受験の勉強始めたら、大学は国公立行けると思うから!」
と宣言してきたお兄ちゃんは、勉強もまじめにコツコツと始め、授業以外の校外学習にも積極的に参加したり、体育もできる所から復帰し「柔道着買ってほしい」と言われた時には、涙が出るほど嬉しかったです。
毎日、クラスメイトの話しや、いろいろな先生の話しを聞けるのが本当に嬉しくて、何よりお兄ちゃんが高校生活を楽しんでいることが嬉しくて、本当にキラキラ輝いていた1年でした。
高2の時
高2になったとき、世の中は予想もしていなかったコロナ禍のはじまり。
そこで授業がリモートになり、予定していたイベントも次々になくなり、生活が一変してしまいました。この辺りから、強迫性障害の症状がふつふつと芽を出し、手洗いが頻繁になってきてしまいました。
そして、この時の担任の先生は、野球部の顧問を務めるガチガチ体育会系のタイプ。いつも正論でぶつかってくる、この担任の先生とお兄ちゃんの相性は最悪。
そんな状況の中でも、まだお兄ちゃんのやる気は残っていて、生徒会会長に立候補するのですが、惜しくも落選。
その頃、「強迫性障害を治したい」と久しぶりに訪れた病院で、まさかの心臓弁膜症の疑い。薬を飲み始め、一週間後あたりから吐き気が始まり、その後一ヶ月に渡って激しい嘔吐に悩まされてしまいました。
同時期、高校ではコロナ禍に対して、益々規制が厳しくなり、カフェテリアでの食事は禁止、教室で黙食。という状況になってしまい、仲良く一緒にお弁当を食べていた友達に会う事が出来なくなり、「お弁当いらない」と言い始めるきっかけになってしまいました。
「コロナ禍」+「担任の先生と最悪の相性」+「激しい嘔吐」+「お弁当拒否」
ここからです。お兄ちゃんが学校に対しての拒否反応が出始めたのは。
いつ高校を辞めてもいいように、高卒認定試験を受けて、高校に対して投げやりな態度に変わっていってしまいました。
高3の時
世の中はまだまだコロナ禍が落ち着かない日々。
学校の授業もリモートが多く、登校しないでいられる事は、お兄ちゃん的にはラッキーだったのかもしれません。
高2で行くはずだったリベンジ修学旅行は不参加。
縮小された体育祭も不参加。
体育もほとんど不参加。
模試も受けない。
生徒全員が受験義務だったセンター試験も受けない。
登校日の時は、
いつも遅刻ギリギリ登校。(たまに間に合わずに遅刻)
手で扉を開ける事が嫌なので、足で扉を開けて、椅子も足で引く。
お昼ご飯は食べないので、図書館で宿題や課題を始末。
ホームルームは面倒だからと終わる頃行く。
こんな態度ですから、先生も周りのクラスメイトも、扱いづらくて嫌な奴にしえ見えなかったと思います。
そんな状態の中で、お兄ちゃんの唯一の支えは「希望の大学に行くこと」。
その為だけに最低限やる事やって、あとは英語の勉強をする。
そんな風に過ごした一年でした。
実は沢山の愛に支えられていたこと
我が子の苦しみを理解してるとはいえ、やはり周りで支えてくださっている先生方やクラスメイトの事を考えると、お兄ちゃんの態度は反感買う事しかしていないし、どれだけ迷惑をかけているか容易に想像が出来るので、申し訳ない気持ちしかありません。
受験生として大事な時期ですから、担任の先生も一生懸命に考えて様々な提案をしてくれているのに、何一つ言うことを聞かず、我を通したお兄ちゃん。
これほどまでに嫌な態度を貫きとおしたお兄ちゃんでしたが、卒業式の日にクラスメイトと居る光景は意外なものでした。
いろんな子がすれ違い様に、
「よお○○!」
「○○、一緒に写真撮ろう!」
と、お兄ちゃんにハイタッチしてくる男子や、一緒に写真撮ろうと言って来る女子に囲まれているお兄ちゃん。
「お兄ちゃんに話しかけてくれる子、こんなにいっぱいいるの」
もっと孤独なのかと思っていたので、本当に意外な光景でした。
担任の先生にご挨拶した時には、平謝りに謝った私でしたが、
「私が支えたというよりは、周りのクラスメイトが皆いい子達で、大人だったという方が大きかったと思いますよ」
という事でした。
お兄ちゃんが毒づいていたとしても、"そういう奴"って事を受け入れてくれて、咎める子が一人もいなかったという事は、奇跡のクラスだったのだと
そのお陰で、たまにしか学校に行かなかった状況でも、お兄ちゃんは孤独になる事なく、こんな風に過ごしてこれたのだと知り、改めて涙が出る想いでした。
帰り道、
「いっぱい話しかけてくれる子がいてビックリしたよー」
「楽しそうに話ししてたじゃん」
というと、
「あーだから俺、うわべではいくらでも話せるから」
「とにかく、さっさと帰ろう」
ってな感じ。
沢山の愛に支えられてここまで来れた事、お兄ちゃんはどれだけ理解しているのか・・・
一抹の不安は残るところですが、なんとかここまで頑張り抜いた事は、きっとお兄ちゃんにとって大きな糧となるはず
卒業おめでとう
そして新たに始まる大学生活が、いい転機になってくれる事を祈るばかり。。。